岐阜県の「伝統産業」

自然を活かしたモノづくりが各地で発展

日本の真ん中に位置する岐阜県。北部には飛騨山脈、南部には濃尾平野が広がり、木曽川・長良川・揖斐川という木曽三川も流れています。その地形は飛山濃水(飛騨の山、美濃の水)と呼ばれており、豊かな自然に恵まれた岐阜県では地の利を活かしたモノづくり産業が生まれ、長い歴史とともに発展を遂げてきました。

例えば、世界的にも有名な「関の刃物」は、もともと刀祖が移り住んだことが起源ですが、戦国時代に武将の間で切れ味の良い刀として愛用され広まったとされています。

関の刃物

また、1300年以上の歴史を誇る「美濃焼」は、安土桃山時代に武将や町衆を中心に茶碗や向付などが使われたり、江戸時代初期には織部や御深井の茶道具が武将に流行したとも伝えられています。このように、武将や町衆などにも愛されながら進化していったのが岐阜の伝統産業と言えるでしょう。

また、恵まれた水資源のもとで発展した「美濃和紙」でつくる「岐阜提灯」や「岐阜うちわ」、「岐阜和傘」などの工芸品、飛騨の家具・木工品、加工食品や酒など、岐阜には他にも数多くの伝統産業が存在し、今もなお、伝統の技が受け継がれながら新たなモノづくりが行われています。

美濃焼

岐阜の古い町並み

武将が基盤をつくった風情ある町並み

岐阜県の古く美しい町並み。その代表格である高山はその昔、織田信長に仕えた武将・金森長近によって築かれました。金森氏は、天正 16 年から城の建築を始めながら町の工事を行うことで、商人の経済力を重視した城下町を形成。京や江戸の文化を取り入れながら、飛騨の政治や商業経済の中心地として栄えたと言われています。

そして現在に至るまで当時の地割が残されているとともに、江戸時代の面影を残す伝統的な町家が多く建ち並んでいます。これらの町並みを保存するため、高山祭の屋台組を中心とした組織の強い結束力により保存活動が続けられ、高山祭や秋葉様祭礼などの年中行事、飾り物奉納など独自の文化が受け継がれているのも特徴です。

岐阜の古い町並み

古川の町も、金森氏治政のもとで高山と同じく発展した城下町です。飛騨の匠の技を伝える佇まいや町人文化が栄えたのも高山同様であり、その風情ある景観は住民などにより大切に守られています。

また、郡上八幡は遠藤盛数が八幡山に砦を構えて以来、城下町として発展しました。今でも職人町・鍛冶屋町・殿町など城下町としての地名が各所に残っており、趣ある町並みを散策することができます。

岐阜の古い町並み

中山道17宿

かつては武将も駆け抜けた歴史的な道

江戸時代に整備された五街道のひとつ「中山道」は、江戸と京都を結ぶ約534kmの重要な街道です。その歴史を見てみましょう。

慶長5年、関ケ原の合戦で天下をとった徳川家康が天下統一を図る重要な手段として、戦乱で荒れ果てた全国の道の整備に取り掛かりました。翌年には東海道に53の宿駅を設けて伝馬の制度を定め、宿場をつくったとされています。慶長7年には幕府により日本橋を起点とした街道のひとつとして中山道、そして奥州街道・日光街道・甲州街道も整備され、東海道を含めて五街道と呼ばれました。幕府は五街道に道中奉行の大目付役を置いて直轄の街道とし、諸大名の参勤交代や行商人らの庶民の通行など、人々が行き来する幹線として発展させました。川止めなどが頻発する東海道に比べて厳しい山や谷が多いものの、予定通りに通行しやすく、女性を含めた多くの旅人に好まれたとか。

中山道17宿

中山道には69の宿場があり、善光寺参りなど参拝ルートとしても栄え、京から江戸へは公家の姫君が将軍に降嫁する道としても利用されました。

これら69の宿場のうち17宿が岐阜県の美濃地方に位置し、今も当時の面影を色濃く残しています。